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アバークロンビー (HMS Abercrombie, F109) は、イギリス海軍のモニター艦。ロバーツ級モニターの1隻。艦名はジェームズ・アバークロンビー将軍に因む。その名を持つモニターとしては2隻目。 ==艦歴== アバークロンビーは1941年4月26日にヴィッカース・アームストロング社で起工し、1942年3月31日に進水、1943年5月5日に就役した。本艦が搭載した15インチ砲塔はフューリアス (''HMS Furious, 47'') の予備砲塔として製造されたものであった。 就役後、ハスキー作戦(シチリア島侵攻)参加のためアバークロンビーは地中海へ向かい、1943年7月4日にチュニスに到着した。7月8日にアバークロンビーは上陸部隊を載せた船団とともにシチリア島へ向けて出撃した。そして、7月10日から7月15日までアバークロンビーは砲撃による支援を行った。それにより弾薬が欠乏したためマルタで補給を受け、その後も7月18日から7月23日までシチリア島周辺で活動した。 続いてベイタウン作戦に参加したが、この作戦ではアバークロンビーは砲撃を行う機会はなく、9月4日にアヴァランチ作戦(サレルノ上陸)参加のためビゼルトへ向かった。そこを9月7日に出撃、9月9日にサレルノに到着し上陸支援を行った。同日、アバークロンビーは右舷中央部に触雷し、9月11日にパレルモに後退した。アバークロンビーの修理はターラントで行われた。ターラントには10月7日に到着し、修理には10ヶ月を要した。 修理が完了したアバークロンビーは1944年8月15日にマルタ島に到着した。8月21日、マルタ南東沖で訓練中であったアバークロンビーは再び触雷した。今度は2発の機雷に触れ、マルタでの修理は9ヶ月を要した。 修理後、アバークロンビーは対日作戦に投入されることになった。だが、任地に向かう途中、アデン付近で終戦を迎えた。 アバークロンビーは1945年11月にチャタムに帰還し、1954年まで砲術訓練や宿泊艦としての任務に従事した。アバークロンビーは1954年12月24日にバローでスクラップとして廃棄された。 ==参考文献== *Ian Buxton, ''Big Gun Monitors : Design, Construction and Operations 1941-1945'', Seaforth Publishing, 2008, ISBN 978-1-84415-719-8 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アバークロンビー (モニター・2代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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